原町市史の町村編の石川組製糸原町工場の項を担当した。原稿を書きあげて郵送し、活字になってゲラが届く。分量が数ページ足りないので足した、という部分がある。アルバイトに悉皆調査させた古い新聞のマイクロフィルムからのコピーをどっさり送ってきたが、ほおっておいた。そんならそうと、最初から何ページで、と言ってくれればよいのだ。さっぱり連絡もしてこないから、あんまり遅れたら困るだろうからと、こっちは勝手に書きたいように、さっさと書いて送った。
p102の、大暴風雨で石川には人的被害がなかった、とあるが、気になった。
誰か学芸員が充てられて、そこを書いたのだろうが、市史編纂はチームプレイだし、全体の進捗に関わることだろうからと、見逃した。
じっくり本ができてから、やっぱり気になって、一日日程を組んで、県立図書館に出向いて、●日がな一日、その部分について虱潰しに調べてみたら、やっぱり、漏れていた。
アルバイトが拾い洩らした新聞に、ちゃんと、石川工場で倉庫がつぶれて一人の作業員が死んだ、とちゃんと書いてある。
そりゃあ、金をかけて、膨大な資料を集めたのだから、事務局がすべてを知っていると思うのは当然だ。
ところが、執筆する段階で、現場の事情を知らない学芸員が、あたかも全智のつもりで歴史をかくのは、もとより傲慢なのである。
最後までこだわるべきであった。この一点が、いまだに心残りの後悔である。やっぱり、気になったときに嫌がられてもストップをかけるべきだったなと思っている。

ところが、じつは3月末に間に合わずに遅れたことを、役所の上の方が問題視して、部会が本が出来上がったことを内輪で祝う「ごくろうさん会」をやろうとしたら、出版が遅れに遅れた責任も感じないで何考えてるのかと、事務局が厳しく叱責されたという。それで打ち揚げもしないことになったというのも、なんとも不首尾なことであった。
この町村編は、翌年の民報社と県の出版文化賞を受賞して、祝賀会が行われた。
賞を取ったら、今度は掌返してお偉方が雁首ならべて駅前ホテルを貸し切って祝賀会だと。
しかも自費で5000円会費の会費制だ。
高齢の情報提供者のじいさんがたと会える最後のチャンスだと思ってのこのこ福島から出席したが、みな病気や不調で欠席。じじつ、まもなく次々に鬼籍に入った。
これも、悔いる思い出である。