ハネダヨシさん、お久ぶり。津島生まれ。嫁いだ先は馬場のハネダ二三男さん宅。有名な彗星発見者のハネダ利夫さんの世話をした。子供のころは、女の子だけで、おはじきやお手玉などをして遊んでいた。おさないでした国鉄バスの「津島駅舎で映画を見せられたり。弟と出征してゆく兵士を激励する村の年長者と若い兵士のあいさつのようすを家で同じまねして遊んでいた」。戦争中は、こんなことすら軍国調だった。長じて小高の農業学校に進む。小高神社下の菓子家に住んだり、小高福浦の親戚宅に預けられたり、そこで廊下の雑巾がけでは、子供ながらに半分だけにわけていたら、叔母から叱責されてぜんぶやらせられたり。
彗星発見し羽根田利夫さんは、嫁ぎ先の二三男さんの叔父にあたり、若い頃に東京に出て電気関係の仕事してましたが、心づかいの優しい人で、いつも何かしらを送ってくれました。わたしの子供のための衣類とか、食べ物とか。ほんとうにやさしい、神さまみたいな人でしたね。尊敬の念を、死後30年たってもきのうのように持ち続けながら語る。
兄は50歳のときに石材を扱う自営業を始めた。津島の平和公園を作った。
夫が、自宅庭に「ハネダカンポス彗星発見記念碑」を建立したとき、津島の石で作った。利夫さんの顕彰のために記念碑建立の話題を出したときに、利夫さん自身はもちろん喜んだが「できることなら、愛犬コロの墓も一緒に作ってもらえないだろうか」と言った。生涯ずっとそうだったが、なんとやさしい人なんだろう、と。
久しぶりにハネダさんちに行った。忠犬コロのお墓にも。甥ごさんの二三男さんが、津島の石屋に頼んで伯父の偉大な業績を顕彰して自宅庭に飾ってある。叔父の利夫さんにその件を申し打たら、利夫さんは喜び「できることなら小さくていいからコロの墓も作ってくれるなら有り難いんだが」と言ったので、ヨシ夫人は「なんてこころのやさしい人だろう」と思った。「神様のような人」「東京の電気会社に勤めて居る間じゅう毎月いつも何か買っておくってくださる」という話につづいて、この逸話が出た。ねんじゅう訪問して、昼飯をごちそうになりながら、ときには夕食まで馳走になり、帰りがけにはおいしい漬物や、新鮮な野菜をどっさり車のトランクに積んで帰る恩知らずの僕は、いつも同じエピソードを聞かされているのに、ちゃんと書いたことがなかったっけな。「東京から来られた出版社の記者さん」と、よそよそしい肩書を説明してから、「そうか。そうだよな。この話を書かなくちゃあな」と思った。あんまり羽根田さんの話は書きすぎたから、すべては終わった過去になっていた。でも、きょう初めて聞く人にとっては、やっぱり新鮮で大きな感動があるはずなんだ。もう一度、書いておく。