機関士の父の思い出

 千分の三の坂を喘ぎて登りたる蒸気(かま)を焚きつつ初日おろがむ
亡き父の唯一の作歌である。
 父が若い頃に機関士をしていたのはよく覚えてている。私が小学生の頃に、三交代の二十四時間勤務の泊まりの日には、夕刻母に命じられて原ノ町機関区の父の職場に弁当を届けた。
 多くの国鉄職員の家が駅の近くに存在した。だから貸家も独身職員の下宿する家庭もたくさんあった。
 一緒に機関区の30人も入れるような大きな風呂に入れてもらったし、隆々たる肩の肉に肉体労働への神聖さをも感じてもいた。はるか未来のかなたの世界だったので、自分の所属する卑近な遊びの宇宙とはかけ離れて童心との接点はなかった。
 職場の機関士詰所は、簡素ながらに磨き上げられて黒光りする木造の輝きにも、安全第一・整理整頓という楷書の警句告知の貼紙すら謹厳であり、とうじの国鉄現場道鉄道管理局の標語であった「安全・迅速・快適・低廉」などのモットーがいかにも飾り気ない男の職場の質実剛健を主張し、力強い揮毫にちょっと成人男性への畏怖も覚えている。