少年イエスを彷彿とさせる安蔵15歳

6月のさわやかな風と、すばらしい陽光と、時ならぬ雷雨とに驚き、天地一切が神の祝福として喜びに満ち溢れています。
創造の天の父である主なる神のご聖名をこころからおたたえいたします。

過般はご奉仕のお忙しいなかを、小高教会という鈴木安蔵博士と杉山元治郎牧師の、ゆかりの歴史的な場所において、ペンテコステの季節に、南相馬の原町教会誕生記念日に、憲法発祥のふるさと=揺籃の土地で、敬愛するお二人のお働きについて、いくらかでもお伝えすることができて、こんなうれしいことはありません。
御来訪くださいまして、本当に光栄でした。
私にとっても、小高の杉山元治郎牧師については40年前の1976年に学卒ですぐに地元の新聞の編集を任されて、同封の記事を書いた懐かしい取材を思い出しながら、公に語れたのですから幸福でした。

当日、紹介いたしました鈴木安蔵少年15歳のときの中等学校弁論大会での優勝の逸話で思い浮かぶのは、ルカ伝のイエス少年12歳のときの都上りのエピソードのことです。ヨセフとマリアが雑踏ではぐれたイエスのいないことに気付いてエルサレムに戻り探したら、とあるシナゴーグで大人たちに交じって長老たちの説教に熱心に聞き入っている我が子でした、という場面。それが思い出されます。世の母親と同じ心配をするマリアの言葉にイエス少年は「私が父の家にいることをなぜわからなかったのですか」と、ちょっと異様な反応をする場面。ルカによる福音書2章41節-52節。
小高小学校を卒業して相馬中学に通学するようになり、すぐ新カント主義に熱中し読書に没頭したという安蔵にも、似たような場面があったのではないかなどと想像しました。
いわれなき理由で、治安維持法の最初の捕縛者として投獄された「学連事件」以来、出版すれば即日発禁処分。あらゆる特高警察の監視と、再度の身体的拘束。職業に就くことの妨害。信念をもって行動する者の思想の自由を抑圧し弾圧する時代。いままさに、かつてのわが国の戦争へところがり落ちて行く坂道の峠にいるようです。
しかし郷里の姉の仕送りや妻の献身と支援とによって最後まで耐え忍び、戦争終結によって解放され、すぐに昭和20年11月3日の発布までに、全身全霊こめて日本国憲法の民間草案を執筆したことでしょう。
苦難を堪えて忍び、ついには栄光を獲得した博士の一生は、まことにイエス様の受難と復活の勝利のひな型をなぞるものに見えるのです。
宗教語ではない法学の学術論文の文底に、聖書の物語が透けて見えます。

Total Page Visits: 487 - Today Page Visits: 1

前の記事

母の思い出聞いておこう

次の記事

機関士の父の思い出