2012年4月8日 ·

中国で羽毛のある恐竜の化石が発見された。
本日の復活祭の礼拝、ルーテル教会の礼拝を瞥見。
カトリックの式典を色濃く残して、なおかつプロテスタント。
こんにちの福音系教会の説教に重点を置いた典礼に比較してなんと典雅なこと。
まるで、生きた文化財だね。
教会典礼はどこまで変貌し、発展してゆくのだろう。
駅前のルーテルから、福音系に移籍してきた女子がいるが、
どうして移ったのか。あんなに美しく、あんなに調和した教会なのに・・・・
牧師との違和感と葛藤なのだろう。
あまりにも人間的理由で、はみだすこと。
すべてはせんたくの自由が許されている。
牧師が理由で移籍したのなら、移籍した先の教会で牧師が変われば、また不満が噴出するのだろうか。
よくわからない。本人しだいだろう。
自分にぴったりした教会を探すのは自由だ。
牧師に頼りたい人もあるし、牧師を育てようという奥の深い信徒もある。需要は多様で、受容のありかたも多様だ。
新年度になって、多くの転勤者があり、精神のありどころの小さな教会は、どこも課題をかかえながら、神を第一義にすることの難しさを思う。
新しいファクターに、神からの課題を見出し、自分の宿題にし、比較し、吟味し、協力しよう。
タダで頂いたのだから、タダで与える、という聖書的なそろばん勘定が成り立つ。
福音系プロテスタントの牧師が、典礼用の牧師服を着始めた人物を、冷ややかに見たことがあったが、着たいなら着たらいい。譲歩しよう。似合うかどうかは、判断する人にもよろう。
駅前ルーテルの野村先生の典礼式服は、神々しくて実に美しかった。形式にも力がある。完成された式典のスタイル。カトリックの魅力ある荘厳な典礼を色濃く遺産相続しているからだろうが、野村先生の徳にもよろう。彼の事務局で、フクシマ市で「メサイヤ」公演を実現しようと、働きかけている。

それにしても、羽毛ある恐竜は美しい。