篤志面接委員 浮世亭とんぼ

 杉良太郎、浜崎あゆみなどの芸能人らとともに刑務官の礼服を着こんで記念写真におさまる漫才師浮世亭とんぼ、大阪府堺市出身。桂才賀(笑点レギュラー大切りの時には古今亭朝次)の弟子。師匠の生き方にあこがれて漫才師になって法務施設の篤志面接員となって全国の刑務所を慰問し更生を目的に講話する。
 11月17日、川越少年院での講演を紹介するFKB(テレビ朝日)の午後のワイドショー、ワイドスクランブルの放送枠で見た。同院は自動車修理工場や一般客向けの理容店を職業訓練の施設として経営する少年のための更生法務施設。
 更生講話では自分がやくざの父親の家庭に生まれ、自分の母の姉妹が殺人と被害者になるという事件に巻き込まれ、学校でのいじめを経験した幼年時代について語った。
 凄絶な人生について、誰しもが驚く。しかし、彼が伝えたいのは、そのことではないという。
 同級生からのいじめではなく、同級生の父母たちからのじめだった。つまり、「あの子は殺人犯の家族だから、あの子と遊んだりすると殺されるから近づくな」という言葉が、彼の背中をずっと追いかけてきた。しかし同級生たちのほうが、むしろ彼を支えてくれた。「犯罪者の身内は犯罪者と同じ」という理不尽な世間の悪口に耐える救いの手を差し伸べてくれたことが、彼をグレずにまっすぐに生かしてくれたという経験を、淡々と語ったのである。講話は一時間ほど。彼は結語して言う。
「だからみなさん。だれかが、いじめている場面を見たら、みなさんがいじめられている子のために正義の味方になってください。ひとりだけで生きてるんじゃない、と」
 彼は、自分では選べない人生の生まれながらの境遇ではなく、友情の力によって守られて自殺することなく、悪に脱することなく生きられてきたことを伝えたのである。
 桂才賀とは? 全国の刑務所、拘置所、少年院への慰問活動を積極的に行っていることで有名であり、慰問の回数は1000回を軽く超える。もともとは、笑点メンバー時代の1983年に妻の実家のある沖縄県の沖縄少年院に慰問に行ったのが最初で、その後北海少年院、久里浜少年院と慰問に訪れるが、この3つの少年院の院長が偶然にも同一人物(人事異動で沖縄→北海道→久里浜と転勤していた)だったという縁もあり、久里浜少年院の慰問の際に篤志面接委員の委嘱を受けて承諾。以後、少年院はもちろん、少年院で関係を持った職員達が刑務所や拘置所に異動したこともありそちらへの慰問も行うようになっていく。
1993年には自らを隊長に芸人慰問団「統幕芸激隊」を結成(「統幕」は統合幕僚会議の略。「芸激」は芸で激励するの意。才賀が「慰問」では辛気臭いということで命名)。現在は副隊長の大田家元九郎、「甲板士官」の三遊亭歌武蔵ら総勢78名、大阪支部もできるほどになっている。
 篤志面接委員ということもあり、慰問を通じて感じた家族や社会の抱える問題についての講演活動も行っている。