昭和19年秋から翌春にかけて、南方へと飛んでいった特攻隊の将兵たちを見送った十五歳の病弱な少女だった八牧美喜子さんは、長じて俳人となって「秋燕日記」という文集を出版した。その美喜子さんも、10日に予定していた慰霊祭を前に90歳で長逝された。
学生だった私は彼女の文集の編集を手伝ったが、戦果を知らずに若い兵士たちが死ぬのがかわいそうという意見に、素朴に「アメリカの若い兵をたくさん殺せばよかったですか。アメリカの母国にも悲しむ母親がいたでしょうねえ」と意地悪な質問をした。
それでしばらく絶縁した。
昨年、終戦70周年で復興予算がついて博物館が大きな特別展示会を企画したので監修した。「原町飛行場と戦争」と題して、けっきょく美喜子さんの手元の貴重な特攻兵士たちの遺書をお借りした。
若くして死んだ兵士も、彼らを見送った少女も長生きして平和に死んだ。
その両方の物語を紡いでから、わたしもこの世を去る日がくるだろう。
「神は偉大なり」というアラビア語「アッラーアックバル」と叫んで自爆テロリストたちがこと切れる場面がフラッシュバックする。
追い込まれると、まじめで非力な国民は、最後に愛国の華を咲かせて散る。みじめな死にざまを「国を愛して死んだ」と強がるほかないからだ。しかし「神だけが偉大だ」と教えられたとおりに言い残して。
津波の跡地を初めて見たとき。ぐうの音も出なかった。
「神は偉大なり」とだけ、ぼくはつぶやいた。
追い込まれた生き方をしないですむほうがいい。みじめな死に方をしないほうがいいに決まってる。でもさいごは「神は偉大なり」というしかないとも思ってる。