4.17.民報 上洛野馬追記 志賀擬山
 今二日旧三月三日東都靖国神社に行わるる彼の万延元年時の大老を桜田門外に倒せし桜田十八烈士の五十年祭典葬祭土方伯以下の懇望に依り相馬野馬追祭典の出馬の有志百五十に限り甲冑に身を固め騎馬に打ち乗り遙々東都に推し登りて十八烈士の霊前に参拝する事となりたり今其趣旨其他を聞くに由来相馬旧藩は其学派を水戸と同うし維新の際の如きは藩士西貫之助を始めとして所謂水戸浪士と行動せしものの少なからず又勤皇の大義を唱えて各藩を遊歴し異郷の空に客死せしもの三十余名に及び」うんぬん。
 「而して右出馬方に就いては佐藤徳助、半谷清寿、藤崎重行、遠藤六之助、佐藤政蔵其の他の諸氏専ら事に当りて奔走し四月二日」「諸氏原町停車場前丸屋旅館に集合して万般の事を協議したるが総裁より贈らるる可き筈の手金などは辞退し汽車賃宿泊料の外は一切自弁を以て出馬し誠意誠心十八烈士の霊を慰むるに努むべく申し合ひをなしたり又東京に於ける動作を聞くに百五十の相馬武士は十一日原町一番の上り列車に搭じて上京し上野停車場前山城屋、名倉屋に分宿十二日早朝甲冑武具を固め上野不忍池畔に勢揃ひをなし馬場の周囲を乗り廻し更に行列を整ひて上野広小路を真直に万世橋、須田町、小川町を経て靖国神社に御参拝夫れより二重橋前に至りて薨去を拝し更に幸町なる旧主相馬子爵家に至りて旧君に謁しここにて馬を乗り捨て特に之等相馬武士の為めに設けられたる二十台の花電車に乗じて東京市中を練り廻す由なるが実に今回の祭典中第一の壮観たるべしと言ふ左に行列順序を掲ぐ(略)」
因に今回の出馬希望非常に多ければ中村、原町、小高の各地に於いて目下武具其の他の検査選抜を行ひつつあり」
4.18.民報「上洛野馬追雑記」など、これらの記事は、原町出身の志賀儀三郎が民報記者として同行取材している。志賀千代蔵と兄弟で民報社に勤めていた。原町はホームグラウンドのようなものであり、野馬追を紹介する筆にも力が入った。この年、原町に電話が開通し、大いに商売が繁盛した。有名なハレー彗星の大接近の年にあたり、世界中が世界の終わりだと騒がれた。明治43年とは、そんな年だった。
▲参考 志賀擬山(しが・ぎざん)原町生まれのジャーナリスト。本名志賀儀三郎(しが・ぎさぶろう)