川俣町の中南米音楽の祭典コスキン・エン・ハポンの生みの親である長沼康光さんが亡くなられた。川俣座という芝居小屋兼映画館の経営者の子として生まれ少年時代から日がな座の蓄音機でアルゼンチンのタンゴを聴いた青春。長身で外国人のような相貌と髪型。独身で音楽三昧の人生は絹の町で機業家になって若手音楽家を育て「川俣のベートーベン」とあだ名された。
 1975年の第一回コンサートから見てきた私はコスキンが縁で川俣の女性と結婚して川俣に暮らし、その妻が運転手になってクラシックコンサートやタンゴ演奏会の「おっかけ」をしていた長沼氏と一緒になった。客席の最前列でカーネーションの花を、フィナーレで舞台に投げ込んだラテン系の日々が走馬灯のよう。
 ベートーベン氏は我々の恋のキューピッドになった。
 私は福島県から北南米ブラジル、アルゼンチンに移民した同胞を訪ねる取材に旅立ったのは1984年。川俣コスキン十周年を記念して県知事から親善メッセージを携えて初海外の長沼氏に頼まれてアルゼンチンまで引率した。
 感無量だ。
2016.8.18