1945年2月16日は、東北が初めて空襲され、原町の4人の若者が犠牲になった日だ。
本土空爆のB29基地として硫黄島を奪取するため米英の機動艦隊の艦載機が日立、いわき沖から出撃し早朝、警報もなく銃撃を受けた原町陸軍飛行場と隣接する紡織工場で働いていた女子挺身隊員(未婚の婦女子も国家総動員令によって戦争協力工場で働かされていた)の大原よし子さんと星すずいさん、相馬工業学校(相馬商業が戦時だけ工業と改称され中学生も工場労働させられていた)の四年生斉藤和夫君、原町国民小学校の児童を引率していた教師鈴木小松さんの四人が被弾して死んだ。
それ以降、半歳以上にわたって警戒警報、空襲警報のサイレンが日常的になり響いたという。
太平洋戦争の4年の期間を超えて311複合災害は続く。
アメリカ戦略爆撃調査団の報告書を克明に読み込んで民友新聞に「福島の空襲」が連載されたが、残念ながら、最初の原町空襲だけは資料が出てこない。すべて聞き書きしか事実に遡及できない。
歴史の空白は、事実が存在しないのではなく、想像力が補う部分だ。
今年は満5年を迎える311.慰霊と追悼の大特集がマスコミに展開するであろうが、5年の記念特集が終われば次は満10年まで風化させる気だろう。その手に乗らせられてたまるか。
膨大な記録が撮影され報道されても、311複合災害の実態は、まだ現在進行形だ。