年末の物乞い

ある年末に「食事するお金がないので、いくらかでもお金を恵んでください」という人が教会に訪れたことがあった。
老牧師は少し考えた後で「わかりました。でもここは神を礼拝する場所ですから、ご一緒に礼拝しに来てくださればそのあとで食事を差し上げることはできます。いつでも来て下さい」と答えた。
訪問者は再び来ることはなかった。
キリスト教会なら困っている人を拒まぬだろうと思ったのだろう。実際に困ってもいただろう。
老牧師の対応は完璧だと思った。
世には寸借詐欺という犯罪もあることだし、素性の知れぬ人の来訪でもその依頼を疑う事もなく憐れみある態度で応じ、必要かつ十分なメッセージを伝えたと思う。
平和で豊かな今の日本にも貧困な人はいるし、社会的経済的な問題はある。
私だって困れば親族に頼り、友人知人に縋り、それでも果たせなかったら公的な機関に駆け込むだろうが、年末年始はそれもいかぬ。教会とは考えたものだ。
あの人はどこか別の場所で食を充たしたのだろう。
その食の機会も実はその人の信じていないかもしれぬ神の不可思議な恵みの一滴であることを気づく場所が、別に設けられていることを願うばかりだ。