福島民友新聞は創刊から120年を迎えた。その前身「福島実業新聞」が河野広中によって5月20日創刊。以後、東北実業新聞、福島日報、岩磐新聞、東北民の題字に改題しながら号数を引き継ぎ明治32年に福島民友新聞の題字で再出発した。
自由民権運動で三春の河野と知己を得た相馬の門馬尚経は東北民社を創立し、この県民紙を引き継ぎ、後世に継承した。いわば民友誕生の産婆の役割を果たした。
門馬は相馬藩の政治顧問慈隆和尚の薫陶を受け、戊辰戦争後に福島市で教員になって公職をスタート。自由民権運動で県内を激しく往復し、多くの書簡で国会や立憲改進党の大隈重信に建言。自由党から立憲改進党に移って大隈内閣で商務大臣をつとめた河野と同志で明治末に代議士も務めた。
破産寸前の福島民報を乞われて社長となった原町の松本孫右衛門が建て直し、政党機関紙から商業紙に改造して成功し、浜通りの衆議院の国会議席を争い合ったライバルでもある。
南相馬市の原町市史編纂事業で、知られざる人物門馬の経歴が、民友のバックナンバー四万号の中に埋まっていることを知った。