郡山空襲とルワンダ内戦
昭和20年4月12日、郡山で460人の空襲犠牲者が出た。4エチレン鉛という航空燃料を生産する日東紡工場が米軍に猛爆されたのだ。。
学徒動員で働いた原町女学校生から、目の前で爆弾で飛び散った学友の肉片が天井の鉄パイプにぶらさがっていた現場の目撃談を聞いた。
瀕死の女学生が今わの際に「水が飲みたい」と望んだとき、水を飲ませてやりたいが器もなくて自分の靴に汲み飲ませた。少女は最後に水をふくみ死んでいったという。
同じ話を友人のルワンダ女性ルイーズから聞いた。内戦で自宅を爆撃され、避難する難民キャンプで国連の人道支援車から配給するスープを貰うのに自分が何も器を持たないのに気付き、自分の靴に受けた。
四人の子どもを持って自衛隊の救援部隊の日本語通訳をして働いた。その縁で福島に住み平和の大切さを語り、戦争の悲惨を全国で講演する。
公民館のスワヒリ語講座を担当した夫の送迎をしながら平和教育の必要を語り合った。