「ジャワは極楽ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」

一月にニューギニアに行ってきた友人に話を聞いた。二歳の時に小高の歯科医師の父が軍医として南方に派遣されて戦死したという南相馬市原町のKさんだ。
72歳の今に至るまで、小学校教員として働いてきた。
「父が死んだ場所に行って、それを報告できなかったが、政府の墓参団に応募してようやく長年の希望を果たした」と。
終戦70周年の今年、天皇皇后がパラオに赴き、ペリリュー島の激戦で倒れた日米の兵士の慰霊の旅を果たされた。
抜けるような青い空と海と。「こんなきれいな場所で戦ったなんて」と、感極まった言葉に詰まった。
父のいない暮らし。当たり前の家庭をうらやんだこともあったろう。
昨年、101歳の母親を見送った。長い未亡人人生を送った母にはたった二三年だけが夫と睦ましい新婚生活だった。
南相馬の生きた歴史を聞くために、ずいぶん通ったその女性の歴史の終幕を、その息子の慰霊の旅の見聞を、天皇ご夫妻の旅のニュースに重ねて聞いた。
昭和という苦難のいくさを平成のわれわれが繰り返してはならない、と。