徳島新聞の広告に驚きと涙

 想定外といえば想定外でした。地元の朝刊「福島民報」を、薬屋の待合室で拡げる短い時間が、ささやかな憩いの時間で、楽しみでもある。29日の見慣れない「徳島新聞」という広告に、怪訝な気持ちで読み始めた。正直言って、急に「徳島」といわれても、思い起こすのは申し訳ないが阿波踊りぐらいしかない。

 しかも、紙面の下部の広告である。購買販促や新商品の宣伝でもない、意見広告という形での、縁もゆかりもない知名の徳島の新聞なら、なおのこと購読を伸ばす意味もなかろうに、と。

 なぜ、という思いで読み続けると、不覚の涙があふれてきて困った。待合室にいる客の目が気になりながら、紙面から目を離せなかった。短いメッセージは、福島県出身の論説委員の手になる文章で、故郷への思いがこめられた震災・津波・原発事故の災禍に対する激励の言葉だった。

 故郷で育ち、故郷で働いて土になった父親の眠る福島。母親の暮らす福島。自分が生まれ育った福島に対する万感の思いのこもった筆で、切々と励まし、痛みを共有するこころが伝わる文章であった。こんなにも切ない広告文を読んだことがない。

 新聞、テレビ、ラジオ、ネットは、いま福島では地震以来ずっと生命にかかわる情報の媒体である。子や孫の将来にかかわる情報だから、普段になく命の綱のままだ。まさか広告で、こんな「情」を伝えて来るとは。情報とは、産業でもあろうが、「なさけ」を伝える道具であることを思い知らされた。

 大きければいい、効率がよければいい、という価値観が、東京一極の歪んだ経済構造を生み出し、負のエネルギーを地方の過疎地に押し付ける原子力行政がまかり通ってきた。

 いま全国に、血縁や婚姻先の実家などの絆を頼って福島県民は避難したままだ。

 福島と徳島は670キロ離れている、という。しかし、郷愁も善意も、たちどころに魂に届く。文筆の力、新聞の力を思い知った。これまでの人生でも、新聞広告が私を泣かせた例はない。

 貴社の度量と「なさけ」に感服もし、徳島がいきなり近くなった。親しみと人情を伝えた広告を、知人のも友人にも知らせたい。