情けは他国のためならず

1900年の義和団事件の時に、西欧諸国の租界が中国人によって破られたときに、会津若松出身の柴五郎中佐の守る租界だけは中国人から襲われなかった。彼が中国人を親身になって守っていたからだった。植民地主義があたりまえの時代にも、薩長西軍に虐殺され、家庭内で女たちが自害した幼時体験のある彼は、軍人になり将星になっても、中国で中国人に評価された。
原町生まれのドキュメンタリー監督亀井文夫の母親は、のちに米屋を営みながら子供たちを育てたが、大正7年の米騒動のときに、彼女の店だけは民衆に襲われることがなかった。普段から弱者にコメの分量を足し増して売っていたからだった。
情けは人のためならず、という格言は、人にも国にも当てはまる。
アラブの土地で、石油だけ欲しくて石油資本の手先の戦争屋になって爆弾落とす協力ばかり考えずに、どうすれば異文化が共生できるか実行する日本の政治家が欲しい。青臭い議論が欲しい。