若き日の吉田松陰会津紀行

齋藤一郎さま
福島県立図書館に「吉田松陰の東北紀行」(歴史春秋社) という本があります。現在、改訂版の「吉田松陰・会津を行く」請求番号L289 Y2 3というタイトルで、滝沢洋之という高校の校長先生がかいたものがあります。通読してみましたが、かなり一般的な読者向けの、タウン雑誌に連載したもので、むかしの有名人が会津にも来訪したことがあるという一点についての啓蒙という印象でした。
吉田松陰の東北紀行の手記そのものに当るのがいいのでしょうが、そこまでの時間がなくて、参考図書の所在だけ確認して県立図書館を辞去してきました。
289.1 Y19 公
291.2 01 庫9
SK289.1 Y4
などです。
さきごろ電話で伺いました一件については、ある名前が地名か家名かとの疑問であったように思いましたが、固有名詞を失念しました。
滝沢洋之という著者に直接あたったほうが時間的に早いかな、とも思いました。会津若松市門田大字黒岩字石高6—6というのが著者の住所です。

現役で「ふくしま意外史」の連載をしておりました頃ならば、イザベラ・バード女史の東北内陸紀行などとあわせて、紀行でみた郷土の姿を皮肉たっぷりに描くことも可能でしたろう。司馬遼太郎も「街道を行く」に白河から会津を描いていますし。
すでに、こうした手法での書き方では「会津130年の悲劇」とかいうタイトルの原稿に一部で取り入れました。戊辰戦争の直後に、西洋人がその惨状についての報告を印象的にかいた断片を用いました。コピーは、以前に齋藤さまに送ってあると思います。

県立図書館の郷土史資料コーナーには、連載中、ずいぶん通いまして、ネタになりそうな本はだいたいほとんど読み尽くしまして、「もう面白い本はないなあ」などと、呆然としています。
細かく見れば、福島県文学全集の紀行の巻などに、いろいろと小説の舞台になった県土がピックアップされていますが、大衆文学で有名なレベルに限れば、おのずとテーマもしぼられます。
最初は、映画史の原稿の転用でしたので、大衆文学が映画の中で歪曲されているさまを、おもしろおかしく指摘してゆくマニアックな楽しみで書いていたのですが、書いているうちにけっこうはまってきました。
個人的には俳諧やら「奥の細道」など、あまり興味もなかったのでしたが、白河の関と義経伝説やら、地元の史跡なども訪ね、桜の銘木さえ訪ねるようになりました。
しかし、連載を終えてみると、継続しないところをみると、わたしの興味は、本物ではなかったようです。日本史は広く浅く、です。遠くの神様貴し、で、地中海文明だのキリスト教の研究書などばかり読んでいます。
ここ数年、文明の起源、フェニキア人の幼児犠牲の風習からヘブライ人の唯一神信仰、アラブの勃興と平和などについて、興味はとどまるところを知りません。旅行と読書のドッキングとして、最高の妙味です。「新約聖書」の使徒行伝などは特に身近な存在になりました。最近では、カレン・アームストロングという女史の「神の歴史」という壮大な、唯一神信仰の系譜をたどった論考に感銘しました。

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