IMG_32909月7日 くうちゃんへのオード(頌歌)

くうちゃん。君は美しい。
真っ黒な毛皮と、ぴんと立てた尻尾。
精悍な目つきの昼の虚空の眼。
底知れぬほど深い透明な夜の新月の眼。
愛らしい鳴き声。しなやかな肢体。
生きている宝石。のびやかな奇蹟。
ああ、くうちゃん。あの日拾われた、あの博物館の庭。
蒸気機関車C50の前の、雨水の水たまりをぴちゃぴちゃなめていた、
ドイツ青年ヨハネスに抱きかかえられ、困った顔をして
連れてこられた我が家で、もう9年たつね。
(注。博物館の脇の舗道を散歩道にしている友人の佐藤邦雄先生の話だと、くうちゃんを拾った2000年9月頃に、道に段ボールに入れられた仔猫が三匹捨てられていて、通りすがりの人が食べ物を与えたりしていたが、兄弟らしい二匹は死んでしまい、くうちゃんだけが残されたらしい。)
ブラジル独立記念日に、拾われた仔猫。
ぼくは世界中を旅して帰ってきた故郷の町で、
もうこれで、どこへも行けないなと覚悟したよ、その日。
君はそれからどれほどの幸福となぐさめを我が家にもたらしたことか。
ソファーと、ふすまと障子戸を爪にかけて壊して破り
食べては毛玉と吐いて心配かけながら
ただただかわいらしく素直で人なつこいくうちゃん。
神様は君のために、私を原町の博物館まで運び
大森に猫のための大きな家を選んでおかれたと思うよ。
すべては君と、ぼく自身のためだった。
あらゆる部屋を征服し、あらゆる戸袋をのぞき込み
あらゆる食器棚を知り尽くし、
近所のいのこづちの抜け道を熟知し、
物置のクモの巣から二階の窓の出入り口から
嵐のように現れて、疾風のごとく去って行く。
家の門、塀の上、ベランダ、屋根の上、庭の樹木の下、自動車の下。
木陰と日なたを知っている。
雪の日の足跡、
梅雨を眺める、哲学者のごとき君は、
一番涼しい廊下のポイントを知っている。
一番暖かい温風ヒーターの正面に、張り付いている。
日溜まり、カーテンの蔭、インデイアン・サマーの三和土
コンピュータのキーボードの上も、ピアノの鍵盤の上も、食堂のテーブルの上も、
君の大通りだ。銀座だ。シャンゼリゼだ。
何度もジャンプして飛び込んだお風呂、
トイレの中まで確かめに来る、
小さな中庭の藪も、本棚の上も、猫の宇宙だ。
押入もすき間も換気扇の上も温風ヒーターの上も占領したね。
吉田家仏間の仏壇(義母と妻の所有です)の下の主人の座椅子を占拠し、
パソコンのある書斎のイスも占領し、法華経と聖書を枕にし、
専制政治を敷き、
私の布団で午前眠り、妻の布団で夜眠り、
二階の布団の上で、午後眠り
あらゆる静寂を共として
あらゆる暗闇を友として
猫の帝国を支配する征服者よ。
君にかしづく人間をあまた従えて
日に三度のキャット・フードつき、昼寝つき
ときどき秋刀魚の焼いた尻尾つき。(刺身は食べません)
専用のイスとソファーと、クッションつき。

11月3日
掃除も炊事も洗濯もせず、読書もテレビも必要ない。
ひたすら毛並みの手入れと、爪の手入れで終日暮らし、(注。そういふものに、わたしはなりたひ 賢治)
日夜よその猫の侵入を警戒するが、真っ先に逃げる自衛隊。
(注。昨年はしばらく家から出なかった。凶悪犯人のような顔の乱暴なねら猫に追いかけられて、庭木のてっぺんまで逃げて駆け上ったが下りられなくなった、こわーい体験がトラウマになったらしい。最近、ようやくパトロールに出るようになった。隣の猫も、ちいさい時に、我が家まで突入して来たことがあった。グレイの若いトラ猫だ。以来、相性が良くないらしい。隣の家のご主人は、くうちゃんのことを「くろちゃん」と呼ぶ。隣の猫は二匹いる。茶色の年長猫は交通事故に遭って帰ってこないのを助けてから、二匹ともひもを付けて飼うようになり、よくお散歩に歩いている。我が家のくうちゃんは野放し状態。いろんな家で、別々な名前で呼ばれているらしい。)
近所の山田さんちにも、黒猫がいるが、家の中で飼っているので、放すと帰って来ないという。名前はトラちゃん。
うちのくうちゃんも、日光にすかして見ると、かすかにトラ模様が浮かんで見える。親か先祖がトラなのか。
くうちゃんは誰にでも愛想がいい。通学の小学生が「あ~ら可愛い」などと立ち止まると、すり寄ってゆく。
宅配便の配達人が来ても、足にじゃれつく。ときどきバック・ドアが開いていると好奇心にかられて車に乗り込むので、ずいぶん心配した。
一度、娘と妻が、車で福島駅まで車に乗せていったことがあって、はぐれそうになった。二女がすかさず捕まえたので、行方不明にならなくて済んだが、近所のスーパーに「この猫、知りませんか」といった張り紙が張られていることがある。アメリカでは、幼児の行方不明の張り紙がたくさん見かけたが、これは離婚した親が誘拐するケースらしい。猫だって家族だから、はぐれたら傷心ものだ。
新しいものに興味がある。荷物が着くとチェックする。段ボールが好き。すぐ入りたがる。
(注。猫用の小さな椀は、スヌーピーの絵柄のコンビニでもらったものだが、これで水を飲むより、台所のシンクに上って、洗い桶から飲むのが好き。でも、たいていは自分の椀に水がない時だ。言ってくれれば水を補給するのに、言わない。猫だから。)
おなかが空いた時だけ。かわいい声でニャーと鳴く。台所のドアを開けて外に出たい時はアイコンタクトで、じっと待っている。テレパシーを信じているらしい。

猫の寿命はどのくらいだろう。人間の成長の7倍速というから、9歳になったくうちゃんは、人間の年齢でいえば63歳ぐらいの勘定になる。もはやわれわれと同輩なのだ。こないだまで赤ちゃんだったのに、今でも子どものようにかわいい(飼い主と猫とは基本的に親子関係だという)が、表情はやはり落ち着いてきた。仔猫時代のおもかげがダブルので、切なくなる。