送り返されてきた年賀状。

すべてを流された相馬市磯部。最愛の奥さんを、3.11で失った青年に、友人知人たちから年賀状が送り返されてきた。

かつてわたしには年賀状に子供の成長写真を使う者の気が知れなかった。子供がすべてという生き方には批判的だった。

しかし、これらの送り返された賀状を眺めていると、送り返した人々が「思い出を」返してくれたのだ。あまりにも鮮やか過ぎる結婚式から、子供の誕生、成長と、知らない人の人生をたどるうち、なぜこんなに涙が溢れてくるのか。

海辺で、ぬれたアルバムを拾って、持ち主に返すという迂遠な作業をテレビで見たし、思い出を捨てられない自分に自嘲してもいた。

しかし、それ以外に何があるというのだ。

涙の河に、おぼれるほど、いとおいしい、これらの返却された年賀状に、こめられた、友人たちの共感と同情。息の詰まるほどの感謝でアップした本人の赤誠の祈り。

われらすべてひとしく、やがて神の記憶の中で永遠に眠るときがくる。

愛するものと天国で再会しうる希望に、ますますわたしは渇望と懇願とを覚える。

イエスさまのサンダルのつまさきが見えてきた。

海辺の、穏やかに凪いだ波打ち際で、死者をよみがえらせる神の力を、

こころから信ずる。