相馬双葉の映画館一覧

●相馬
相馬 明治生まれの中村座と大正生まれの新開座のほか、隣村に豊かな海をひかえて原釜劇場という館もあり戦後は金竜館も登場。中村の戦後は中村中央、中村メトロパレスも加わり、最後の新開座が昭和50年に閉館してこれらが全滅した後に昭和51年に中村映劇という館もできたが54年12月、短命に終った。その後は荒川新太郎という中学教師が57年から相馬映画センターを主宰し原町朝日座の協力を得て自主上映を続けた。
鹿島 相馬市史には大正5年に鹿島劇場ができたとあるが、明治時代にすでに鹿島座が出来ていた。昭和初期には東座という館名で呼ばれ、昭和40年代に閉館した。
原町 明治25年開館の原町座と大正12年開館の旭座に加えて、戦後は原町映劇(のち原町文化・原町シネマ)が盛り場の栄町の中心地でサーカスや相撲興行などをやっていた衆楽園という町の広場に出来た。原町座なきあと昭和26年に原町中央劇場が駅前に参入。東宝映画と洋画を上映。文化劇場は会津若松生まれの興行師で宮城県で手広く劇場経営を展開した渡部徳の館だ。福島フォーラムの長沢裕二代表が若き日に修行をかねて働いていた。
小高には明治の小高座と戦後(昭和32年)小高国際の二館。どちらも、小高神社の門前にあり、名物野馬掛け祭には賑わった。
●双葉
双葉 双葉郡では明治40年開館の浪江座、大正5年開館の富岡座が古い。双葉町には大正14年に新山会館が建設。戦後町村合併で新山村が標葉町になって標葉劇場という名で稼働。大熊町は大野と熊町村の合併で大熊となった。大野には内池座という館があり、のち大野座と改名。戦後は大和館が映画を上映。長塚村(のち新山と合併して双葉町)には戦後に亀楽座が、現在の楢葉町には木戸ロマンス劇場と竜田劇場があった。
浪江と合併する漁村の請戸港では旅館兼食堂枡屋の庭が映画上映の場所で、のちには村内の坂本自転車屋が請戸劇場という小館を経営。
夜の森劇場は、駅前に町長の半谷六郎が経営。映画最盛期には山村川内村にさえも川内劇場があったが入場税を延滞して閉鎖。海辺の町久の浜はかつて双葉郡内で久の浜劇場があった。広野町の小館広野劇場は松田菓子店が経営し、いまなお建物が残っている。宮城県出身の行人社吉田興行師は浜通り地方で洋画を扱い、みずから浪江中央劇場を建設して本拠にした。のち結婚式場如水会館に。映画も上映した。