福島民友紙に連載中の「福島空襲」を熟読している。米英軍記録をもとに郷土の歴史を検証する作業が可能になった感慨を覚える。
70年前の昭和20年2月16日に、福島県が米英連合軍機動艦隊の艦載機の空襲を受け東北初の4人の犠牲者が出た。東海から東北の沿岸部基地の迎撃を警戒し、硫黄島を奪取する戦略的な本土空襲だった。
未婚の女子挺身隊員2人の少女と、相馬商業(現原町高)を卒業間際の18歳の少年、国民学校(戦時中の小学校)から動員された児童班の引率で軍需工場に来ていた女性教師が、空襲警報も知らずに被弾して絶命した。南相馬の原点だ。安全な暮らしと平和の大切さを噛みしめながら住民は戦後復興に汗をかいてきた。
長い間忘れ去られて旧原町市史に正確な詳細も不明だった。新市史を改訂出版した直後に未曽有の歴史的災害と原発事故被災が起こり、多くの市民が家を失い仮設住宅で忍従する生活が現在進行中だ。
あらたに後世に我らの時代を記録する必要を覚えながら、昭和史のカレンダーを見比べながら過去の先達の苦労を重ね合わせている。