十一月二十九日
いよいよ寝ようかなと思って居たら、どうも半鐘の音らしいのが遠くできこえる。おやと思って母さんをおこして聞いてもらったらやっぱり半鐘の音。心配して母さんが表へ出て行ったら警戒警報との事。すぐに久木元さんをおこして言ったらぱっと飛び起きた。でも遠くでひくくなるだけ。帰へろうかななんて久木元さん又フトンの仲にもぐり込んでしまふ。私達は気がもめてモンペをはいたり防空頭巾を出したりして居たら、今度はいよいよ警察署のサイレンがなり出す。そしたら久木元さん又ぱっととび起きて川口さんをおこして二人で一台の自転車へのって行く。月夜だった。門に皆でたってお見送りしたっけ。
日付なし
きのうの晩はコタツをかけて皆でゴロ寝。次の朝久木元さんが来るまでちっとも知らずに寝て居た。「誰れも飛行場まで行った人なんて居なかった。少しあわてすぎました」なんて、帰へって来たっけ。この日が久木元さんは最後のお休みだった。秋市一日目。雨が降ったり止んだり曇り日の寒い一日だった。

注。「大甕地区従軍記」という地域の老人の回想集に、飛行場関係戦没者慰霊祭の座談会記録として、19年末に空襲があったという記録を検証していたら、個人の日記:当時15歳の少女の日記に「警戒警報」と、警察署のサイレンがなったという記録をみつけた。「空襲」があったのではなく、「警報」が鳴った、というところだ。

11月29日が秋市の初日だったという。久木元というのは、特攻隊の隊員で松永牛乳店に遊びに来て宿泊していた。