「聖書を読み解く」

 

 最初の人間アダムの家の系譜を十代目のノアまでたどったのち、「創世記」はアダム本家の歴史とーレドーと)から逸れて、人類一般について語る。

「人間(アダム)が大地の表に増え始めたとき、彼らに娘達が生まれた。神々(エロヒム)の息子たちは人間の娘たちを見ると、彼女たちは美しかった。そこで選んだすべての 者の中から、好む者を 取って、彼らの妻にした」創世記六章1-2節

 このエピソードの語り手(ヤハウイスト)は、地上に増え広がった人類が、アダム家の出身者であることを前提にしているらしいが、それ以上の詳細については語らない。しかし、祭司文書に属す「アダムの家計図」(五章)によると、各世代の家長には、本家を継承した長男の他に息子たちと娘たちが生まれたことが記録されており、アダム本家以外の人々が増え広がった様子とそこに娘たちがいた事情が窺がえる。

 いずれにしても、「人間の娘たち」の出自は一応推量できるが、なんの前置きもなしに突然登場した「神々エロヒムの息子たち」とは一体誰なのか。

(エロヒムの説明)

 歴史的に考察すると、イスラエルの神、ヤハウエ以外の神の存在そのものを否定する一神教の信仰は、紀元前六世紀に起きたバビロン捕囚以後、ユダヤ人の間で徐々に形成された思想である。したがって、大部分がバビロン捕囚以前の伝承に由来する聖書の諸文書では、ヤハウエが、その他の神々と同類だったと理解すべきだ。同一の単語「エロヒム」が、ヤハウエにも他の神々にも同様に用いられていることはなによりの証拠である。

 ところが、確立した一神教の教義の影響下に、「エロヒム」を複数の「神々」と理解することを嫌う傾向が強くなった。「神々が存在すること自体が我慢できなくなったのである。紀元前に世紀に成立した最古の翻訳聖書であるギリシャ語訳以来、大部分の翻訳聖書が、「創世記」六章初めのエピソードに登場する「エロヒム」を「神」(単数)と訳すのはその例であろう。しかし、そのために、かえってこのエピソードの理解を難しくしているのである。

 

神々と交わった女たち  

「当時もその後も、地にネフィリムがいた。神々エロヒムの息子たちが人間の娘たちのところに来ると、彼女たちが彼らのために生んだからである。彼らは昔の英雄たちである」(六章四節)

 

「偵察するために、わたしたちが通り過ぎた地で、わたしたちが見たすべての民は、背が高い人々だった。そこでわたしたちは、根フィリムから出たアナク巨人の息子たちのネフィリムを見た。わたしたちの眼には、自分たちがいなごのようだったし、彼らの目にもそうだったであろう」民数記13章32-33

 これはカナンの先住民に、ネフィリムという巨人がいたという報告だ。(天地創造からバベルの塔まで 石田友雄 草思社2004)

 

半神半人の伝説は世界中にある。エジプト、ギリシャの神話の援用を、遅れてきたユダヤのヤハウエ信仰者が再話しつつ神学的に描いてみせた一連の新しい神学的作品となった。