パウロがローマに乗り込んだのは紀元61年とされる。奴隷制度の下で、奴隷の逃亡という事件はしばしば起きた。紀元63年に生まれた人物の奴隷のとりなしを手紙で依頼する有名な書簡として、同じ状況を描きながらも、そこに描かれたキリスト者の「とりなし」が、いかなるものであるかを示す。パウロはオネシモという奴隷を、主人であるピレモンに、許しをとりなしている。聖書中、短くも美しい精華ともいうべき手紙だが、紀元一世紀のいきいきした生活の一端がみえて楽しい。

矢内原忠雄全集8 ピレモン書 ぬきがき

 文学者で自然科学者であった大プリニウスの甥で、通常小プリニウスと呼ばれ、ローマ皇帝トラヤヌスの下で、小アジアのポント・ビテニアの司政長官を勤めた人であり、有名な書簡集が残っている。

その一つに、彼の友人サビニアヌスの奴隷が逃亡してプリニウスの保護を求めて来た時、この奴隷の罪を赦してやってくれということを、サビニアヌスに頼んだ手紙がある。それは簡潔な手紙で、しかも憐憫に満ちたものとして、古来手紙文学の華と称賛されているものであるとか。これを同じ種類の問題を取り扱ったパウロのピレモン書と比較するため、その全文を紹介してみよう。(ケンブリッジ聖書「ピレモン書」序論より転載)

「君を大変怒らせたと、君が私に話したあの奴隷が私の所へやってきて、私の足元に平伏して、あたかもそれが私自身の足でもあるかのごとくに私の足に抱きついて、ひどく泣いて、ひどく頼んで、かと思うとまたひどく黙り込んでしまい、そして要するに自分が悪かったという事を私に告白した。彼は自分が罪を犯したという事を感じているから、本当に心を入れ替えたものだと私は考える。君が怒っていることは、私は知っている。君が怒るのももっともであるという事も、私は知っている。しかし怒るべき理由が一番正しくある時に慈悲をほどこすことは、最高の賞賛を博するのである。君はこの男を愛していたのであるから、もう一度彼を愛してやってくれることを私は希望する。この際、君に頼むことは、ただ彼を赦してやってくれることだけである。またこれから悪い事をしたならば、君は再び怒ってもいいだろう。しかしそれは、この際君が譲っておけば、一層理由の立つことになるだろう。彼の若さに免じ、彼の涙に免じ、また君自身の寛大さによって、彼に苦痛の罰を与えないでくれたまえ。そうでないと、君が君自身を苦しめることになるだろうから。といおうのは、人間の中で最も親切である君が怒ることは、君自身が苦しめられてていることにほかならない。私が彼の願いに自分の願いを付け加えたならば、君に対して頼むというよりも、むしろ主張することになるかと恐れる。しかし私が彼の願いに自分の願いを添えるのは、私はそれだけ一層鋭くまた厳しく彼を叱りつけ、またもう二度と彼のために頼んでやらないぞという、厳重な警告を与えておいたからだ。彼に対してはこういう態度をとった。それはかれを脅かしておく必要があったからだ。しかし君に対しては別の調子をもって口をきく。たぶん私は今一度懇願して、今一度君の承諾を得るだろう。この件は私が正当に君に頼むことが出来、そして君が正当に許してくれることのできる場合である。さようなら」

 学問があり、品位があり、文学的であったといふ令名高きローマの貴族の書簡も、キリスト・イエスの囚人パウロの愛の高さ、深さ、こまやかさに比すれば、転地の差がある。それは即ちこの世の智慧とキリストの福音の差にほかならないのである。

矢内原忠雄全集8 ピレモン書 ぬきがき