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やっと普段どおりの日曜礼拝が出来た。雪かきした残りの雪塊が路傍に山積み状態。なにごとを祈ろうと思いつつ、けっきょくこの豪雪で、小さな集会をさえ、とどこおりなくできることさえも、神に許されてのことであることを認め、一日を生きることさえもが人間には分に超えた恵みであることを感謝した。

先週は、牧師夫妻と近所のスズキさんとの3人だけの礼拝だったよし。黙示録から、スミルナの教会へのイエスからの手紙が語られたことを、教会週報のメモによって知った。スズキさんが、ICレコーダーに録音していたろうから、あとで聞かせてくれるのを楽しみにしているが、じつは僕の手元に、スミルナ名産らしい、干したいちじくのお土産があって、これを眺めるたびに黙示録の地理的な妄想を楽しんでいる。

スミルナの聖人ポリカルポは、紀元155年に殉教している。初期クリスチャンは、ステファノの殉教以来、ローマの支配の中でカエサルの守り神に誓へ、との命令によって、基督信仰が試され、おおくのクリスチャンが野獣の牙に斃され、また生きたまま火あぶりにされた。

ヨハネが、死ぬまで信仰を守れ、とスミルナの教会へ書き送れとある黙示録の7つの教会への手紙のうちの一つに記した幻視こそは、このスミルナ教会に実在した物語であった。

聖人は「86年間、主に仕えてきました間、わたしが神を裏切っても、神がわたしを裏切らずにわたしになしてくださったことは、すべてよきことだけだった。これを裏切れようか」と言って、ローマの執政官に、ローマの守護神に誓うことを断乎拒絶した。

権力者は、野獣の牙にかかるか、それとも火あぶりか、と脅迫し、群集がついに火あぶりを要求して薪を運んだ。

今の日本なら、原発マネーの神に誓え、と迫られて、独裁者の絶対権力にはむかうことを封じられるような状況か。ウクライナは、EUとロシアとの双方の力に裂かれた国が、混乱の中で統治機能が麻痺した。日本はだいじょうぶだろうか。

雪の中の教会で、スミルナの火あぶりを思って、日本もいよいよ、ものをいえない黙示録の世界に入るのか、と心配だ。驚いた。きょうは、カトリック暦の聖ポリカルポの殉教の記念日である。