原町憲兵分隊秘史

第1章

 昭和十五年。仙台憲兵隊長、佐田原靖蔵憲兵大佐は本部長室に濁沼与八郎を呼んで、本部付若林金吉副官の立会いの下、原町に憲兵分隊設置のあることを告げ、派遣を打診した。

 「貴君は原町出身だそうだな。戦地からの帰還者だ。しかも病弱ときている。四月に治療退院したばかりだそうじゃないか。ここはひとつ、郷里に行ってみないか」

 仙台には第二師団司令部があり、シナ事変のあと連日のように入隊や戦地からの帰還者で混雑をくわめていた。各部隊とも猛訓練で激務である。

 原町に熊谷飛行学校の分教場が出来るので、警備や防諜のために憲兵分隊が設置されることになった。ついては、原町は小さい町でもあり、海岸近くで空気が良いから、新設部隊に行ってみないか、健康第一が肝要だぞ、と薦めた。

 本部長の好意と温情に、濁沼は二つ返事で承諾した。

 「八月六日が日も佳い。会津若松の憲兵分隊の憲兵准尉が赴任する手筈になっているから、岩沼駅で落ち合うようにせよ。君は原町憲兵分隊の看板を持って行け」

 当日は、午前十一時の上り列車に乗り込み、五十嵐准尉と岩沼で合流。駅弁を使って午後一時には原ノ町駅に着いた。

 原ノ町駅にはタクシーがなく、人力車が二台あるだけだった。まず役場に向う。堀川町長と大浦助役に面会し、打ち合わせ協議した。すでに第二師団から連絡があり、町当局として独自に適当な場所二箇所を物色し、内定していた。

 兵事係の案内で、現地を検分してみると、一箇所は猪又病院で院長が応召出征中で病院建物が空いていること。しかし、いつ帰還するやも知れない。もう一箇所はタクシー会社で休業中とのことであった。経営者は土木業者だった。

 仙台の憲兵隊本部としては、十五年中に分隊庁舎を建設する予定になっていたので、駅前通りの半沢タクシーの跡地が適当ということになった。