原町火力の建設着工式典で

二上 英朗·2019年2月23日土曜日表示2件
原町火力の建設遅延はそれ自体が新聞のメインテーマだったが、ようやく起工式が行われて祝賀会が高見町の普段は結婚式場として使われる施設を貸し切って東北電力主催で開催された。この日を最も熱願したのは地元の地権者だった。
大きな花束を胸につけた地権者が、周囲の怨嗟のまなざしに耐えてきた長い時間を痛感した。
門馬市政が東北電力から誘致したのではないために、門馬氏が誘致の功績として宣伝できないためなのか、かれの予算には電源三法の果実の自治体への22億円という巨大な財政は、これを記念する記念の施設もイベントも組んでいなかった。通常は首長の功績をたたえるために印象的な記念碑や施設などが造られることが多いのだが、何もない。これは誰がみても冷淡な対応に見えた。
ふだんは顔も知らない原町などには姿を見せない東北電力の社長も特別な言葉に熱弁をふるっていた。それに比べれば門馬市長は主賓ではあっても建設着工の祝賀会での祝辞でもあっさりとした淡々とした挨拶であった。予算と同じ理由である。国からの補助金の22億円は一般予算に組み入れられ、ただ道路や箱モノの修理費などに、じわじわと地下にしみ込んで消えるような金として消えるのだ。識者は、こうしたダムや火力発電所などの巨大事業では、これを記念してモニュメント的な建造物を建てる場合が多いという。
粛々と祝賀の宴が進み、当日の出席者の中に県会議員の太田豊秋氏が順番で司会に呼名されて登壇した。
太田氏は「まず最初に」と前置きして、「祝辞の前に、この大事業を実現された前市長の渡辺敏氏に献杯をしたい」と言い出した。
渡辺氏は門馬氏との市長選の一騎打ちで敗れて引退し、家庭裁判所の調停委員あたりの感触の名誉職のみの老後を過ごして寿命を迎えて長逝された。死後に銅像になったりしゅくがされたりはしたが、死んでしまえば政治家の名前なんて現役の世代にとって何の意味もない。
ここにいない渡辺氏の不在を、ここでこうして最も印象的に脚光を浴びせて、一気に場の空気を攫ったのである。
やられたな。
あの市長選の夜の決定的な勝敗の絵を思い出す。門馬と自民党原町支部を二つに分けて、太田県議は渡辺支持を鮮明にして「渡辺の次」に名乗りを上げたのに結果は惨敗で、NHK福島放送局のニュース速報で門馬当選の第一報がテレビ報道されると渡辺敏の家から黒塗りの高級車で夜の街に消えて去ってゆく、強烈な記憶を思い出す。
男の政治の世界とは、こういうものさ。

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