少年時代からの活字への羨望と憧憬から文章を書き出したものの、日本語ワープロの出現で、いくらでも自分で活字を生産できるようになって、創作意欲は純然たる自分の個性の発露の表現になってゆき、活字は、媒体によって自己顕示の道具になってきたような気がする。
 自分の媒体として、いくつかのミニコミに100%の自分を表し得た時代から、政経東北一本のみの外部からの出稿者という立場での間借り人の悲哀を感じながら、それも引退して、とうとう民報、民友の読者の投稿欄の住民に成り果てました。それでも、月に一、二度だけの機会も、積もり積もると一年に15~16回ぐらいの出稿となる。
 一本で原稿用紙20枚ぐらいの記事を何本か書きまくっていた時代に比べれば、責任はないし、好きなことだけ、気ままに書いて、載れば載ったで楽しいし、不採用になっても、できたらすぐフェイスブックのともだち諸君がフォローしているので、それも読者なので、けっこう楽しい。
 9月12日の民友「昔話に残る地名の大切さ痛感」以来、10月に二度、ゲンロン出版のメルマガに寄稿した4000字の手記が2回ぶんで8000字もの分量が出たことだけで、満足してしまって、小口の新聞投稿はお休みしてしてしまった。
 11月に、「朝日座」の記事、12月に「カミカゼ特攻中野磐雄」の慰霊祭の記事、
「憲法違反2度も格差の是正急げ」12月19日民報で、ことしの投稿はすべて終り。

こないだとまった実家で「原二小新聞」縮刷版から、知人の名前を拾ってみた。

原二小新聞 もくじ
p35 安川真 日本たん生の映画を見て 4の2
p52 二上ゆみ子 原町市俳句大会入選作品 五年の部 あぜ道に赤ちゃんおいて稲を刈る
折笠秀一
p90 3の2 村田一郎 黄色いぼうし
p104 野球 4の1 村田一郎
p91 善行賞 寺島芳郎
p88 川上道子 修学旅行の思い出
p82 たかはぎみちこ だっこちゃん
p78 二上潤一郎 絵を見ての感想 5の1
p70 すもう 二上英朗 1の3 昭和35.1.27 (2)
 プール金網完成 大島基重 p134
 大石公一 副会長 p171 四年父兄 p115
昭和39年 3.23 卒業生に贈る 牧野芳子
p112 加藤りよ子 5の1 あこちゃん

p94 とうふの配達 6の3 大場忠
 かあちゃんしぐのいやだ
p92 映画をみて 5の3 大久保佳代子

p190 佐藤道 六年 卒業にあたって
p218 佐藤林 たっきゅう 2の4 昭和49.7.20
p310 吉田真知子 新任の先生紹介 昭和59.10月
p323 p312 原二小さんこんにちは 

p327 吉田真知子 音楽専科 卒業おめでとう
p329 阿部みよ子 PTA事務職員

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