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「マザー・テレサとその世界」千葉茂樹監督インタビュー

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「マザー・テレサとその世界」上映
「一粒の麦」の脚本家・福島出身の千葉茂樹監督が地元で講演。インタビューしました

 福島市の生まれで代表的ドキュメンタリー作品「マザー・テレサとその世界」で知られる映画監督千葉茂樹氏の講演会とチャリティー上映会が三月十七日、福島テルサで行われた。福島市在住の姉や級友たちもかけつけた。
 これは、福島市ミャンマー里親の会などの活動を展開する市民らで結成するチャリティー映画実行委員会(羽田ひろみ代表)が、ミャンマーの子供達や、インド西部大地震の被災者救援のための募金集めで行われたもので、二回上映された。
 千葉茂樹監督は福島市泉生まれ。清水小学校に通い、福島高校から福島大学経済学部を経て日本大學芸術学部映画科を卒業。在学中からシナリオを書き始め、新人シナリオコンクールに入選後、大映東京撮影所演出部を経て近代映画協会に参加。昭和三十三年には福島市を舞台とする「一粒の麦」の脚本を担当、本宮町が舞台の「こころの山脈」の脚本も担当。この二作品は日本映画史に残る良心的名作として知られる。
 一九七八年に「マザー・テレサとその世界」を制作。カルカッタの聖女と呼ばれたノーベル賞受賞者マザー・テレサの活動と思想を密着取材したこの作品は国内外で八つの賞を受賞するなど高い評価を受けた。
 現在は日本映画学校の副校長をつとめる重鎮。
 マザーの「愛は家庭から始まる」の言葉を実践し、共に住み良い地域社会を作ろうと、一九八五年に市民グループ「地域家庭の会」を結成。代表をつとめる。九九年、第二九回毎日福祉顕彰を受賞。
 「愛を一人から一人へ、それは、決して大げさなことではない。飢えている人を見た時、その人に何がしてやれるかを考えることである。飢えや病気が悲惨なのではなく、それによって孤独に追いやられることが、現代の不幸だとすれば・・・私たちのまわりにもそうした存在は多い。この問題は、死の街カルカッタから、私たち現代人への強烈なメッセージに違いない。」
 と監督は語る。
 講演要旨次のとおり。

 マザーが現役のときに撮影された映画は、四本だけですがそのうち日本が日本人による作品です。しかも私の作品の中でマザーは、最後に日本人へのメッセージを語っている。特別に厚意を寄せられている、というか、期待が大きいのです。
 最初にお会いしたのは一九七六年九月十二日でした。今でも覚えています。朝のお祈りの時にはいるのを知っていましたから、朝の五時半の御ミサにあずかった。その後で「日本から来ました」と申し上げますと「ずいぶん遠くから来ましたね」とおっしゃった。そして「日本には貧しい人がいるのですか」と質問してきた。カルカッタほどではないが、たくさんおります、と答えました。
 二十分ぐらい話ができました。
「貧しい人はすばらしい」と語るのです。英語でソー・ビューテフルとか、ソー・グレートとか。
 私は、(貧しい人たちが)すばらしいとは思っていなかった。どうしてそんなこと、と思ってしまう。
 けれどマザーは「貧しい人たちは目が輝いて、共に生きている、力づよく、すばらしい、そうでしょ」
と言うのです。 
 マザーの足下を見て下さい、親指が外側に倒れている。根っこにこぶが出来ている。一日に五時間、床の上に座り、祈っているからです。
 一九五○年ごろ、たった一人で百万人のスラムに入った。薬と米を運ぶ活動をしていたのです。ある老婆が寝込んでいる所へ米を運んで行った。すると子供に寄り掛かり立ち上がって「シスターちょっと待ってくれ」と言って、奥にゆき、袋を半分にしてきた。もっと貧しい家族がいると言う。イスラム教徒がいて、その家族のために分けてきた。このように貧しい人から、たくさん学ぶ。
 最初の印象がすばらしかった。それで時間をかけて二年かかって映画を撮りました。
 彼女が経営している施設は、ヒンズーの言葉で、「浄いこころの家」というのですが、ジャーナリストたちが「死を待つ人の家」と名づけたので通称になりました。ここに通って撮影しました。
 今日は何人くらい死にますか、と聞くと、四、五人だとのこと。枕元に三脚を立てて死ぬ人を待った。
 マザーは私たちの働きは医療活動ではない、と語る。かなしみ、さびしさを、どのように背負うのか、コミュニケーションは愛の代名詞なのです、と。確かに医療としてはレベルが低いですが、しかしそのことは問題ではない。ボランティアやシスターの、貧者への関わりを、祈るように撮った。
 人間の最大の不幸は貧困です。そして誰からも必要とされないこと。
不幸の一つに動けなくなる、不自由ということがありますが、見捨てられることだ。
 「あなたは見捨てられていない、望まれて生まれてきた」
 命を一緒に貸して下さいと伝える
愛の働きに学ぶところが多い。
 最大の不幸は 現代の不幸でもありますが、最大の幸福はどうなっているのか。
 まず第一には与えられる幸福だ。これは赤ちゃんが母親から喜びと乳をもらい、幼稚園までは何でも与えられる。小中高大と、人間は成熟してゆきます。
 第二には、出来る幸せ。自分で行きたい所に行き、やりたいことが出来る。
 第三には、与える幸せがある。人間として成熟すると、例えば難病で苦しんでいる子供のために命を捨てても救おうと思う。
 幸福には、三つの段階があり成熟という言葉が一つのキーワードになると思う。
 かの立ちの活動が従来のキリスト教宣教者と違う所は、相手の多様性を認める点だということです。相手の宗教がが仏教かイスラム教かと尋ねる。葬式も、その宗派の形式でやり、アフリカ、アジア、肌の色、文化、宗教の違いを尊重するのです。
 本当に人類が成熟した時には、その行為は尊敬に帰する。
 一番美しいものを他者のためにさし出せますか。命を他者のためにさし出せるのか、ということです。
新大久保の地下鉄で、線路に飛び込んで救おうとした行為は、人間として成熟していなければ出来ません。
 十二月に統計では、脊髄バンクに十二万三千の登録があった。これこそ美しい行為です。
 マザーには、インタビューを何度かしました。
 質問も五つくらい考えた。今日は
そのうちの二つを話します。
 まず、どういう家庭で育ったか。 子供は三人。彼女はアグネスという名前の末っ子。(旧ユーゴスラビアのマケドニア人家庭)
 平凡だったがカトリックの両親のもと信仰にもとづき、明るかった。
 スコピエという町で父は雑貨商や建築業や手広く事業を営んでいた。薬も商っていた。
 四歳の時に母親に連れられて、教会に行って、吹雪の中で貧しい人が並んでいたのを目撃している。
 薬屋もしていた父に、「おうちには貧しい人たちに効く薬はないの」と尋ねました。父は「そういう薬はない。お前自身が貧しい人に効く薬になりなさい」と言われた言葉をずっと覚えていました。十二才のときにアシジの聖フランチェスコの本を読んでびっくりした。清貧の聖者の伝記です。私もこのように生きたい、とマザーは思いました。
 三十七才の時に、秋、黙想会に出るため汽車にのっていたときに神の声を聞いた。
「総てを捨てて最も貧しい人の中のキリストに仕えなさい」と。
 ソー・クリアー(とてもはっきりと)と何度も言っていました。
 それでスラムの中に入った。
 日本人の私たちにとっては、どうでしょうか。二十三年前のあれから少しずつ豊かになってきました。色んな、問題、例えば暴力や、投稿拒否、家庭崩壊などの問題が出ているが、これは日本だけではない。世界中で、豊かな国はどこも同じです。
 ともに祈り、犠牲を払うことがなくなることが原因です。マザーは祈りのなくなった家庭は滅ぶ、と言うのですね。
 もっと楽をしたい、もっと欲しいと人間的欲望には際限がない。
 もっと祈ること、きよらかな犠牲
と一致と奉仕が必要だと。
 私たちは祈っているだろうか。マザーの言葉は私に迫って、とても緊張させました。
 雑談になってお茶を頂いた。気が楽になりました。
 マザーは母親のイメージをどのようにとらえているか。
 子供を産むから母親なのではなくて、簡単なことですが、家庭の中心にいて心そのものの存在だと。安らぎ、希望、喜びをもたらすもの。
 「そうでしょ」と、マザーに問いかけられて、一緒にいた家内はあわてて下を向いて顔を伏せてしまいました。家内はわが家で一番災いをもたらす存在ですからね。(笑い)
 それでは父とはどのようなものですか、とたずねましたら、こう答えられました。
 大事な使命がある。働いて家庭を支えることはもちろんだが、正義のために命をかけて生きる存在です。父イコール正義です。こういうことが現代日本から失われている。
 卵の例がわかりやすい。卵からヒヨコにするのに、無精卵では、ヒヨコは生まれてこない。大事に温めても腐ってしまいます。(愛情と正義がなければ)子供はダメになる。心が育たない。父とは「正義」を教えるものです。
 もちろん現代では、母が正義を教えるケースもありますが。
 子供とはどのようなものですか。 「神仏からのさずかりもの。神の似姿として生まれてくる」
 もう一つ聞いたのは、愛の働きとは何かということ。「愛とは何ですか」とたずねました。
 「差し出すこと。犠牲をともなったプレゼントだ」というのです。
 子供の孤児院にやってきた母子の話があります。孤児院が彼らをもてなすのに紅茶を出すところ、砂糖がなくなって、水を出した。
 この時やってきた四歳の子供は、家に帰ってから小さな瓶に紅茶の時間になると、「これはぼくのふんの砂糖だよ」といって、自分の砂糖を四日間毎日ためて、マザーのところにもってきたそうです。
 マザーは愛とはどういうものであるかを「ヒンズーの四歳の子供から学んだ」といいます。
 これは砂糖坊やのエピソードとしてマザーの伝記では有名な話です。「ここにこめられた砂糖の量は少ないがその犠牲は大きく、偉大です」と彼女は言う。本物の、傷むような愛があります。
 彼女はよく「ビギンズ・アット・ホーム」といいます。「愛は家庭で始まる」というのです。
 人生は自分だけのものでなく、家庭を大事にしてください。

 自分のことを聞いてみた。
 次の日の撮影の計画を立てるのに
 農村医療とハンセン病の両方の撮影がしたい。ごちらを撮影すべきだろうか。どちらが重要だろうか。
 マザーは「とにかく祈りなさい」と言われた。
 電話があって、市内の有志が個人的に自分のエルモ・カメラを貸してくれると申し出た。たのでカメラが二台になった。あまりにタイミングがいいので、そのことを言うと、マザーは「神様も両方撮らせたいと考えているのでしょう」

 八時間の大手術で、顎に骨を継いだ。寝たままコルセット状態。車椅子に乗せられ、病室に戻ると、患者たちが看護婦の品定めをしていた。
 ワースト・ワンに選ばれたのは婦長さんでした。彼女は仕事はバリバリ有能だが、いつも笑顔を見たことがない。ユーモアが必要です。
 愛の働き、ロウソクのようでありたい。自ら燃えて小さくなりながら
 「一隅を照らす者が国宝」と天台山にあります。最澄の言葉です。
 あったかさ 世界の中のともしびとなった。
 祈りについて、私は専門家でないが、三つのことに気がつく。
 気がつくと 今日ここに来るのにも声をかけられて、支えられ、活かされている存在であることにに気づくこと。そうすると感謝が戻ってきます。
 もう一つは、(人間に自分に)欠けていることに気づくこと。そうすれば反省が戻ってきます。
 国や社会が冒した罪もあります。日本はアジアをたくさん傷つけてきました。関係ないよと言えません。父や祖父の借金をつぐない、背負ってゆかねばならない。
 私は福島で生まれました。若い頃には、何をやってよいのか分からなかった。自分の可能性に可能性に気づく、ということが大切です。
 可能性に気づくと、勇気が湧いてきます。
 感謝と、反省と勇気。この三つのことを深めることが「祈る」ことだと思います。
 映像を組み合わせることを映画ではモンタージュといいますが、「祈る」の文字を分解しますと、神をあらわす示す偏と、近くという字の右側から成り立っている。
 祈る、とは神に近づく、という意味になります。
 祈る、とは神の声を聞こう。マザーに近づいて行こうということになります。
 映画の中にマザーの姿で、映像作家として指摘したいのは後ろ姿の美さ、働く手の美さ、という点です。
 そして人の話を聞いている姿。その謙虚さがすばらしい。(貧しい人たちに仕えるという)生産性のない活動には、実は祈りと実践、謙虚さがこめられています。
 撮影開始の二年後に、修道女を送り出すシーンを撮りにゆくとき、バス二台で出発するシーンではカメラ二台つけて、マザーが涙を流す場面をねらった。ところがマザーは涙など見せるどころか感傷に浸るいとまもなくさっさとバスのドアを閉めてしまった。ちっとも名残惜しそうではない。
 帰国してからこの場面を、音付きのラッシュ(フィルム)で見てみると、しかも「早く行きなさい。貧しい人が待ってます」と言っているのが分かったのです。
 一日の稼ぎが一ドル以下という人たちが二十億いる。生きることは分け合うこと。生きているのは自分だけでない、わかちあいたい。福島のみなさんと、こうして出会えたことをとても感謝しています」
 淡々と、一気に語り終えると、上映の様子を観客席の最後列で、いっしょに見ている姿は、まるで、礼拝のときに会堂の入り口近くの最後列で祈っている有名な映像の中のマザー・テレサの姿そっくりだった。

 以上、雑誌のための原稿。
 ここから後は、個人的な会見。

 上映会のあと、ロビーで観客を見送りながら、級友や親族などと久しぶりに再会を楽しんでいる監督から、さらにくわしく信仰上のことを聞き出しました。
 「一粒の麦」は、地方出身の中学卒業生の苦悩の青春と良心的教師とのまじめな取り組みを、集団就職をテーマに描いた作品。福島市や二本松市をロケして撮影した。「聖書」のマタイ伝からの一節「一粒の麦も死なずば地に落ちて実を結ばん」からのタイトル。公募でシナリオが当選。映画人千葉茂樹のデビュー作品となった。
 あの時代にはまじめな内容の社会派の映画が珍しくなかった。内容は直接的なキリスト教との関連はないが、タイトルににじむ宗教的なひびきには求道的なにおいが強い。クリスチャンだとばかり思っていた。
 私の疑念は千葉監督が、もともと若い頃からカトリックで、その関係でマザーテレサにアプローチしたのか、という点です。
 「いえ、うちは天理教でした。カトリック信者になったのは、マザーに会ってから後のことです」
 福島県ゆかりの監督のうちで、亀井文夫は共産党だったが、その姉兄はカトリック、母親は聖公会の信者となって、死ぬまで結核患者のための施設の経営者として生きた。亀井の弱者に対する共感やまなざしや、視点は姉兄母親の信仰の影響があるだろうこと、須賀川出身の円谷英二監督が夫婦そろってカトリック信者で、東宝のビデオの中にカトリックの礼拝に出ている夫妻の映像があること、福島県で最初期に映画を上映したのはクリスチャンのやくざであったこと、ふくしま映画史を雑誌に連載したことなどをお話しましたら、雑誌をぜひ贈って欲しい、と名刺をいただきました。
 両親は天理教信者だったというのは意外でした。家庭の中で、神様の話を教えられます。
 県文化センター開館30周年記念事業で「一粒の麦」、「こころの山脈」が上映されて拝見しました、と申し上げますと、ああ、みたかったなあ、とのこと。
 吉川公三郎監督の思い出深い福島県ゆかりの作品で、千葉氏が若い時にシナリオを担当していますから懐かしい筈です。でも自分が関係した作品であってもビデオにでもなっていないから、気軽に古い作品を見る機会もないのでしょう。
 私が長い間の念願だった「一粒の麦」を実見したのは、つい昨年のことです。
 千葉監督は、山羊のような髭をたくわえた小柄な、好々爺でした。

千葉茂樹氏 プロフィール
映画監督・シナリオライター・日本映画学校副校長
シナリオコンクール入選、大映東京撮影所で助監督を修業の後「一粒の麦」(大映)で脚本家デビュー。1974年製作のドキュメント「愛の養子たち」で監督デビュー以降、近代映画会、日本テレビを中心にドキュメンタリーを多く演出。  11979年の「マザーテレサとその世界」ではキネマ旬報賞文化映画作品賞をはじめ内外で8つの賞を受賞。「マザーテレサとその世界」「マザーテレサこんにちは」「こんにちは地球家族」等著書もある。                
主な作品:「アウシュビッツ愛の奇跡ーコルベ神父の生涯」「アンデスの嶺のもとに」「こんにちわ地球家族」「救ライの聖者・ダミアン神父」「いのちよ輝け」「ゼノ」「愛の鉄道」など。
受賞暦:「マザーテレサとその世界」赤十字映画祭短編記録部門最優秀賞(79)、キネマ旬報文化映画作品賞(79),毎日映画コンクール教育文化映画賞(79)、国際赤十字映画祭(ブルガリヤ)他               「救ライの聖者ダミアン神父」:ニエポカラノフ映画祭(ポーランド)監督賞(89)など多数。

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